ウィトゥルウィウス的人間

レオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトゥルウィウス的人間』のパネルが登場した場面が、今回のイベントのハイライトだった。小林先生が構図の説明をして、爆笑問題の二人が聞き入っている様子がとても印象深かった。『ウィトゥルウィウス的人間』に描かれている人間は、世界と接触している。腕を伸ばしている先には、同世代の仲間がいる。平面に描かれた図の背後には、何枚もの層があって(実際には1枚だが)、かつての時代を生きた先人たちがいる。そして、彼の足元には、人が立つことができるしっかりとした居場所がある。小林先生は、自分の居場所をみつけること、そして自分がいる居場所を感じることが私の教養なのだといった。私にとって、非常に鮮烈な教養観であった。私もこんなことを言ってみたいと思うほどだった。
先の構図の説明で、小林先生は、人間の上にくるものはもろもろの自称を超越したところにあるべき知、神秘であるといってみせた。これを聴いて、私以外の人たちはどのように受け取ったかは定かではない。なにやら怪しげなことをいうものだと感じた人もいたかもしれない。しかし私は、この発言が持つ意味のすごさが理解できるし、あのような場で発言できたという小林先生の勇気に敬服したい。
私は最近になって、さまざまな現象を追求していった末には、なにかを越えることができると考えるようになった。越えたところにあるのは、神秘やスピリチュアリティとよばれるものである。これについてはまだ明確に言い表せないでいるが、小林先生の発言をちょうど今回聞くことができたので、なんとなく心が安らぐ気がした。