立花ゼミ第1回講演会

というわけで、5月24日午後6時20分より、立花ゼミ第1回講演会をおこなった。場所は、駒場キャンパスの13号館であった。第1回というのは、立花ゼミが学内に向けて公開するはじめての講演会ということである。会場には、お客さんが40人くらい集まった。前学期に活動していた立花ゼミ生もたくさん来てくれた。講演のタイトルは、「科学ジャーナリズムの現在」。これは、事前に辻さんと打ち合わせをして決めた。多くの学生はジャーナリズム教育そのものを知らないだろうということで、入門的なお話になるようにお願いした。
当日の講演は、たいへん興味深いものであった。講演の最中、激しい雷がしてびっくりした。講演内容は、新聞の科学記事の役割から、読み手が知りたい科学の話題、科学リテラシーの定義、メディアの機能と責任、辻さんが書いた記事の解説まで、とても幅広いものだった。
辻さんが話されたことで印象的だったのは、サイエンスのニュースではノーベル賞が特権的に扱われるが、すごいのはノーベル賞をもらうことではなくて、研究者がやった研究だとか、研究者の眼のつけどころだとか、そういうところにあるという話だった。これは全くそのとおりであって、ノーベル賞受賞者の発表時期になると、今年は誰が受賞するのか、ということが気になるが、いざ発表となって日本人受賞者がいないことがわかると、ノーベル賞関連のニュースは、ぱったりと止んでしまう。それとともに、日本の科学への期待感も減ってしまうように錯覚してしまう。これでは、日本人の科学への関心も、競馬のオッズ同等に上下してはしまわないか。上昇はよしとしても、下降する割合のほうがどうしても大きい。それは、ノーベル賞が、スウェーデン科学アカデミーの選考で決められていて、西欧で活躍する研究者に与えられることが多いためである。これは、よく聴く話である。ノーベル賞は年1回の記念イベントとして、たのしみではあるが、ニュースにするべき科学の話題はそれだけではないはずである。
それと、ニュースで取り上げられる死亡要因の頻度と、実際の死亡者数の統計資料の話がおもしろかった。話題性があったり、読み手に衝撃を与えやすいものほどよく記事になる。新聞や雑誌が部数をたくさん発行するためには、当然の戦略なのかもしれない。しかしこれでは、つかえるネタばかりが紙面を陣取ってしまい、現実の一部分だけを伝えることになってしまう。伝えなければならない他のさまざまの現実は、結果的に紙面の片隅にのるか、完全に抹消されてしまうだろう。なかったこととして扱われてしまうのである。現実というのは、拾い上げても、拾い上げても、私たちの周りに数限りなく落ちている。すると、気づかないところにあるものをどうしても見落としてしまう。なにを書くべきなのかを選択することが、もっとも肝要だ。
講演後、質疑応答およびディスカッションの時間をとった。活発な質問が出てよかった。
そのあと、わたしたち学生数名と立花先生、辻さん、教養学部の松田良一先生、瀧川洋二先生をまじえ、夕食を一緒にいただいた。科学雑誌や、ガリレオ工房、理科教育、TVの科学番組、大学制度など、さまざまな話題について話しあった。SCIの今後とか、次の講演会とかの話も出てきた。
今回の講演会については反省すべき点も多いが、こういうのもやってみるといいものだとおもった。