アリストテレス

つぎに考えなければいけないのは、「真の教養人」は誰かということになる。それは、アリストテレスだと思う。教養人の理想は、学問に縛られないということである。しかし、教養を身につけるためには、いろいろな学問に入り込まなければならない。そこにとどまるか、引き上げて次をあたるかは各人の自由である。学問という「枠」の問題が教養を考えるときにどうしても出てくる。学問が細分化、体系化された現在において、教養を語るには、学問の階層を縦横無尽に渡り歩かなければならないのである。それは時に、目的を持った訪問でありうるし、無目的な行き当たりでもありうる。
それでは、なぜアリストテレスが「真の教養人」なのか。それは、アリストテレスの業績を見ればあきらかである。現代人から見れば、アリストテレスはありとあらゆる学問において功績を残した、とみることができる。しかし、アリストテレスが生きた古代ギリシャの時代には、アカデミーはあっても、それほど学問が多岐に渡っていたはずがない。つまり、当人のアリストテレスからすれば、自らの興味がおもむくまま対象を選び、研究をおこなったわけである。つまり、人を研究に駆動するべきものは知的好奇心である、という最も素朴かつ根源的な見解にのっとって研究をしていた。これこそが、教養のあり方であるように思う。
おわり。今回は、教養について思うままを書いてみた。