素養としての芸術

レオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトゥルウィウス的人間』もそうだが、ある芸術家や芸術作品を知っていて、しかもそれについての解釈を与えることができる、というのは、文化的人間としてのひとつの大事な素養だと感じた。会話の中では、ピカソの話も出てきた。ある画家の名前を挙げて、主要作品が言える。ある絵画作品を上げて、誰が描いたかがいえる。ある画家について、表現がどのような芸術的運動のっているかをいえる。これらはどうでもいいことなのかもしれないが、ちょっとした会話に盛り込み、表現を豊かにすることができる素養として役に立つ。いま、人間へのアクセス権というようなものをすこし考えている。