脳文化人の出現

神経科学の今後を考察すると、「脳文化人」と新しい人たちが世の中に出てくることが予想される。これは、今月上旬に京都で開催された、脳を活かす研究会にともなう一般講演会で、はじめの導入部でつかわれたことばである。どのような文脈で出てきたかははっきり覚えていないが、脳神経科学に造詣が深く、かつ、文化的活動を意欲的におこなう人たちのことを意味しているようであった。私なりに解釈を入れるならばそれは、人間科学者=脳文化人がなりたっていて、優れた理性・悟性・感性を兼ね備えた人間を指している(そういえば、高い知性・豊かな感性・強い信念というものが、私の出身中学の校訓であった)。もしくは、脳科学の知見を活かし、みずからの脳がもつ機能を高めることに努める人間ともいうことができる。これは学力に限ったことではない。
これまでも脳文化人と呼べるような人間が世の中にいたことは確かである。しかし、脳神経科学が発展し、人の脳の働きが解明されつつあるいま、脳文化人の登場が注目を集めるのは必至である。立花隆はすでに、脳文化人の定義と合致している。
神経科学が倫理観や道徳観にもたらす貢献は計り知れないと思う。脳神経科学がもたらす新たな思想・哲学が、人生をよりよく生きるために目指すべき目標の手がかりを与えてくれるのではないか。すこし話が逸れたところに行ってしまったが、私はこのように考えている。

サイボーグ試論を意気込んでつづけてしまったが、これでは本来の広報の役目を果たしていない。サイボーグについては、ひとまずこの辺にしておいて、明日からはゼミの企画の説明や、ミーティングの議事録などを書いていきたい。